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神戸が発祥の地

「神戸が発祥地」を集めてみました。
神戸開港と同時に、たくさんの国の人が神戸にやって来ました。
そして、たくさんの「物」「文化」も一緒に持ち込まれました。
文 化産 業グルメなど、 色々な分野で「日本初」がたくさんあります。
新しいモノが大好きな「神戸っ子」(「初もんくい」と言います)
「68」の神戸初、幾つご存知ですか?
画像掲載しているものは、現在も存続しています

安産腹帯 3世紀?摩耶山天上寺は摩耶夫人尊が祀られて、女人守護の 本山・女人高野といわれ、特に女性の信仰を集め、安産腹帯発祥の霊場として知られています。
日本海軍元治元年
(1864)
勝海舟により海軍操練所が現在の京橋付近に開設された。 坂本龍馬や陸奥宗光などもここで教育を受けたが1年満たずで閉鎖された。
西洋式公園明治元年
(1868)
運動場としてアメリカ人によって開かれ、明治8年から外国人専用「内外人公園」となり、 返還された後は「加納町遊園地」に、大正11年から現呼び名の「東遊園地」になりました。
近代洋服明治2年イギリス人カペルが居留地16番で洋服店を開いたのが始まりです。
卓越したデザイン技術に敬意を表して「神戸洋服」と名付けられました。
牛鍋
すき焼き
明治2年元町の西端に肉鍋専門店「関門月下亭」が開業し、名物神戸牛の牛鍋を出しました。 それまでは肉を食べる習慣がありませんでした。又、明治6年には店頭で農具の鍬を鍋のかわりに使った肉料理を売り出し、すき焼きのを始めました。
サッカー明治4年明治3年KR&AC(神戸レガッタ・アンド・アスレチック・クラブ)が組織され、 東遊園地で同志社大学と在日外国人KR&ACの対戦が行われました。
牛肉専門店明治4年湊川神社に近い元町7丁目で今も営業している「大井肉店」です。 牛肉のみそ漬けやつくだにを初めてつくり、販売したことでも有名です。
瓦せんべい明治6年 松井佐助が当時珍しい卵や砂糖に小麦粉を混ぜて瓦の形をしたせんべいを売り出し、元町に亀井堂を創業しました。現在の「亀井堂総本店」です。
コーヒーの
販売と喫茶店
明治7年元町で創業の茶屋「放香堂」は、 日本茶を商いながらコーヒー豆も輸入し「焦製飲料コフィー」と名付けてコフィー飲用と粉末販売を始めました。
マッチの
工業化
明治10年頃中央区下山手通におこったマッチ工業は、翌年、上海に マッチを輸出し、これが日本のマッチ輸出1号です。
これをきっかけに神戸の近代産業が始まります。
オリーブ園明治11年フランスから持ち帰った樹で北野町にオリーブ園ができ、初国産のオリーブの実の塩漬けや搾油が作られました。
この時の一樹が湊川神社に植えられています。
テーラー明治16年元町4丁目で今 も老舗のテーラーとして営業を続けている「柴田音吉洋服店」は、カペル氏の流れをくむ柴田音吉が日本人最初の注文紳士服を手がけました。
鉄製灯台明治17年和田岬浜に六角形灯台が造られましたが、埋め立てで陸灯台となった為 昭和39年に須磨海浜公園に移設され赤灯台と親しまれています。
ラムネ明治18年日本で初めて製造された清涼飲料水で、名前はレモネードから由来したました。 居留地18番で創業した「シム商会」が製造販売をしまた。栓を抜くときの音から「ポン水」とも呼ばれ、愛称「18番」で売られていました。
洋家具明治18年塩飽船大工が外国船修理の際、西洋人の家具をまねて造ったことから 始まり、福原の職人の手で製造された椅子が残されています。
ゴム工業明治18年「日本護謨製造所」が兵庫上橘通に誕生、ゴム球やゴム枕の製造を 始めました。それは、神戸が生ゴムの陸上げ港だったからです。
ウスターソース明治20年頃安井敬七郎がイギリスへ渡り、 はじめてソースと出会いました。帰国してから、日本人の口に合ったソース「日の出ソース」を誕生させました。現在の「阪神ソース」です。
活動写真明治29年アメリカのエジソンが発明したキネストスコープという機械を、 神戸の鉄砲火薬商、高橋信治が輸入し、花隈の神港倶楽部で上映されました。
水族館明治30年大日本水産博覧会で、和田岬の「和楽園」に木造インド風洋館造りの水族館が出来ました。 須磨海浜水族園に当時の和楽園水族館の模型が展示されています。
コンクリートダム明治33年英国人ウィリアム・バルトンの指導の元、技師・佐野藤次郎設計の水道専用ダムとして造られ、 現在も神戸の水源として使用されているのが「布引ダム」です。
近代タバコ明治33年元禄4年、藩主松平直明の勧めで岩岡町で栽培が始められ、 「赤坂煙草」の名で藩財政を潤しました。アメリカから洋風の品種や技術を導入して、近代タバコの栽培を始めました。
河川トンネル明治34年昔は天井川の湊川は、度重なる水害を起こす為、付け替え工事をし、このときに 全長673mレンガ造りの馬蹄形で石の底張りが施してある「会下山トンネル」が造られました。
サイダー明治34年「有馬鉱泉株式会社」が設立され「有馬サイダーてっぽう水」 として初めて販売されて有馬の炭酸源泉で作られたサイダーが飲まれました。サイダーが飲まれました。、三ツ矢サイダーのルーツと言われています。今は「有馬八助商店」が販売しています。
瓶詰め清酒明治34年「白鶴酒造」が、品質を保持し運送や保管に便利な―升瓶を使用しはじめ ました。このことにより地方の人達も、「清酒・灘の生一本」が飲めるようになりました。
駅構内食堂明治35年2代目の国鉄神戸駅(国鉄初高架駅)構内に高級レストラン「みかど」が開業しました。列車の食堂車と同じ 洋食のメニューでした。
ゴルフ場明治36年明治34年からイギリス人貿易商アーサー・ヒスケス・グルームにより六甲山にゴルフ場を 造り始め、1903年に9ホールが完成し「神戸ゴルフ倶楽部」を設立しました。
毎日登山明治38年在日外人が北野から今のハンター坂を登って、善助茶屋にサインブックを置き、 署名する習わしをつけた。それが広がり、大正期には多くの登山グループが誕生している。
機関車・客貨車
の製造
明治39年現川崎重工の前身「川崎兵庫造船所」を明治14年 東出町に開設し、兵庫分工場(現川崎車輌)を設置して機関車、客貨車や橋桁の製作を始めた。
コンベアベルト明治39年木綿製伝動ベルトを坂東直三郎氏により発明され、坂東式木綿 調帯の生産が始まりました。現在のバンドー化学です。
ブラジル移民明治41年第1回ブラジル移民船笠戸丸がコーヒー農家への契約移民158家族791人を乗せて神戸港を出航し、 平成5年に制度が廃止されるまで、およそ30万人が移住しました。
日米対抗野球明治41年日本に初めて米プロ野球チームが来日し、東遊園地で神戸野球倶楽部と対戦して 多くの観客を賑わせました。
マラソン競技明治42年3月21日、湊川のスタート地点から大阪西成大橋間で競われました。 この時始めて、「マラソン」という呼称が使われました。
X'mas
オーナメント
明治末期居留地に住む外国人が日本の仏壇飾りをヒントに クリスマス飾りを考え、それを生産し始めました。
自動車タイヤ大正2年
(1913)
明治42年に「ダンロップ護謨」が設立され、タイヤの生産を開始し、 この年に国産第1号自動車用タイヤが誕生しました。
ぶたまん大正4年 中国で天津包子(ケンチンパオツー)と呼ばれる中華饅頭を、日本人に馴染む物にしようと考え『ぶたまん』を生み出したのが元町の「老祥記」です。
海洋気象台大正9年神戸の海運業者が資金を寄付して開設され、日本初の観測事業を8月26日より開始しました。
バウムクーヘン大正10年ドイツ人のカール・ユーハイムにより元町に洋菓子店を創業。 そこで初めて焼かれました。現在も「ユーハイム」で販売されています。
生協大正10年わが国初の市民による生活協同組合「神戸購買組合」が創設されました。 初め10人だった組合員は年末には1246人になり、現在の中央区八幡通に店舗を開き、米や醤油などを並べて本格的な活動をスタートさせました。現在の「コープこうべ」です。
パーマネント大正12年アメリカから機械の売り込みの為来日して神戸ホテルに宿泊していた エンプレス父子よりホテルの散髪屋が機械を購入し、これを使い始めた。
ジャズバンド大正12年井田一朗が率いる「ラフィング・スター・ジャズバンド」が誕生 しました。
今でも、神戸はデキシーランドジャズのメッカとされています。
ウイスキー
ボンボン
大正12年ロシア革命から逃れるため神戸に亡命してきた菓子職人白系ロシア人、 マカロフ・ゴンチャロフ氏が北野町に(店現在のゴンチャロフ製菓)を構えて作ったのが始まりです。
近代登山大正13年東六甲、東灘区と芦屋市の境に位置し、花崗岩が風雨の侵食によりできた芦屋ロックガーデン。 外国人の岩登りを見て、ここで練習が始められました。
トイレットペーパー大正13年それまで輸入品を使っていましたが、高知県の工場に原紙の製造を依頼し 神戸の貿易会社「島村商会」がロール型トイレットペーパーに仕上げ、外国汽船などに納入しました。
ボクシングの
公式戦とジム
昭和2年
(1927)
ボクシングは、日露戦争で捕虜となったロシア人によって伝えられ、 初の公式戦が新開地の聚楽館で開催され、この年、初のボクシングジムが御影に出来ました。
バレンタイン
チョコレート
昭和6年この年に設立された「神戸モロゾフ製菓」が カタログに「ヴァレンタインの愛の贈り物は(中略)スヰートハート」と宣伝したのが始まり。現在の「モロゾフ」です。
高山植物園昭和8年牧野富太郎博士の指導で、六甲山にわが国初の高山植物園が開園された。 園内には、六甲山系の植物をはじめ国内や世界の高山植物約1500種が栽培されている。
モスク昭和10年イスラム教の礼拝堂「神戸ムスリムモスク」は、伝統的トルコ建築を基に インド人建築家により設計されて建てられ、ここを「日本のマッカ」と呼ばれていました。
いかなごの
くぎ煮
昭和15年垂水区塩屋の「魚友」松本信子に、 お客様より「いかなごを佃煮に」と依頼され、試行錯誤のうえ炊き上げたのが始まり。1960年代頃、垂水漁協の組合長により「くぎ煮」(出来上がりが「さびた古釘」のよう)と名付けられた。
鉄板焼き昭和20年三宮でお好み焼き店をしていた「みその」が鉄板を使い客の前で牛肉を サイコロ状に切って焼き始めたのが始まり。
濃厚ソース昭和23年それまでお好み焼きにはウスターソースか醤油を 使っていたが、川池にあった「オリバーソース」から売り出されたトンカツソースが定番になる。
電話リクエスト昭和27年ラジオ神戸(現・ラジオ関西)が電リクをクリスマスの特別番組で 実施したのが始まりです。
ストレートコーヒー
の販売
昭和28年昭和23年、北野ハンター坂の南角にテーブルが3つの小さな珈琲店 から始まった「にしむら珈琲店」は、コーヒーの味わいを追究して誕生したのがストレートコーヒーです。
本格的鉄骨
造アーケード
昭和28年元町6丁目に全長202m・高さ6m・全ジュラルミン製で夜は52本の蛍光灯が輝き元ブラ族を楽しませませました。
ケミカル
シューズ
昭和30年頃西神戸に立地したゴム履物工場が、その当時開発された 塩化ビニール「ビニールレザー(人口皮革)」を材料に用い、今までの技術を使って生み出された新しい靴です。
そばめし昭和30年頃長田区のお好み焼き屋さんに、お客さんが持ちこんだ冷えた弁当の ご飯を焼きそばと一緒に炒めてあげたのが始まりです。
花時計昭和32年スイス・ジュネーブにあるイギリス公園の花時計をモデルに制作されました。 神戸市役所の完成と同時に時を刻み始めました。
ミートソース缶詰昭和35年エム・シーシー食品が業務用洋風調理缶詰としてミートソースを発売し、 昭和38年には家庭用のカレーやボルシチなども百貨店で発売されました。
ティーパック紅茶昭和36年「神戸紅茶」の親会社「須藤」(紅茶製造加工会社)がティー パックマシンをドイツから導入したのが始まり。神戸は紅茶の消費量が日本一です。
日本でのサンバ昭和40年頃コーヒー豆を運んできたブラジル人船員が神戸の街でサンバを 踊ったことがきっかけとなり、神戸ブラジル総領事館の協力で盛んにサンバパーティーが開かれました。昭和46年から「神戸まつり」を通じ、全国に発信続けています。
車輌・乗務員を持
たない鉄道会社
昭和43年阪急・阪神・山陽・神戸の各私鉄が相互乗り入れして「神戸高速鉄道」 が誕生しました。
缶コーヒー昭和44年昭和8年、神戸で「上島忠雄商店」として創業した 「UCC上島珈琲」が、100円缶コーヒーを発売しました。
カラオケ
機器
昭和46年井上大佑氏がスプリングエコー・コインタイマー内蔵の マイク端子付き8トラックプレーヤーを手作りで製作。弾き語りで録音した伴奏テープをセットして店舗へレンタル提供したのが始まり。使用料金は1曲5分間100円 でした。
スライスチーズ昭和46年昭和23年、平和油脂工業(株)として創立された 六甲バターQ・B・B。はさんで巻いて切る手間もなく、簡単に手で好きなカタチにできるのが特長です。
優先座席昭和47年お年寄り・体の不自由な人や妊婦さん等に優先的に利用してもらおうと、 神戸市バスに設けられた「オレンジシート」が始まりです。
ニュートラ昭和50年雑誌「アンアン」が神戸山の手のお嬢様ファッションをネーミング したのが語源とされています。神戸に拠点を持つアパレルメーカーが製造販売し、確立されました。
海釣り公園昭和51年「須磨海釣り公園」は須磨浦海岸の沖合い500mまで突き出した形に設けられた人工 桟橋で、一年中手軽に沖合いの釣りを楽しめます。
無人運転列車昭和56年「ポートピア81」に合わせ、三宮~ポートアイランド間で開業した「ポートライナー」。 ゴムタイヤ式の列車で最高時速60Km、1周9.2Kmを27分で走ります。
新格闘技
J-DO
平成13年
(2001)
池田篤志氏が考案した、柔道の投げ技に空手の打撃を加えた格闘技

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