港町神戸の歴史は古く、奈良時代から「大輪田の泊」と呼ばれ、平清盛が対栄貿易の拠点にしていました。
大輪田の泊は、鎌倉時代から「兵庫の津」と呼ばれ、中国や琉球の船が外国の物産を運んでいました。
江戸時代になると、日本海から下関を回り北海道の物産を大阪や京都に運ぶ為、北前舟が寄るようになり、
瀬戸内海最大の港と発展して行きます。
徳川幕府が安政5年(1858)に欧米5ヶ国と結んだ修好通商条約により、慶応3年(1867)に兵庫港を開港する事になっていましたが、
歴史のある土地で外国人とのトラブルを避ける為、神戸を開港場と決めました。
◇神戸の誕生◇
幕末の神戸村は、ほとんどが綿と麦の畑で、建物といえば海軍操練所と農家が数件という未開地のド田舎でした。
徳川幕府が大政奉還した年の慶応3年12月7日(1867年)、神戸港の開港により街造りの第一歩をふみだしました。
慶応4年(1868)5月に兵庫県が置かれ、同じ年の1月におこった「神戸事件」で活躍した伊藤博文が初代知事に就任し、
居留地の造成にも力を尽くしました。公館は明治6年、現県庁の地に移転するまで坂本村にありました。
「居留地」は明治32年7月までの約30年間、外国人による自治が行われたため、西洋の生活様式がそのまま持ち込まれました。
これが、「神戸のハイカラ」の始まりです。 (・詳しくは、中ほどの「居留地物語」をクリックして下さい。)
当時(明治元年)清国と条約を結んでなかったため、中国人の居留地内の生活は
認められてませんでした。11人の華僑が居留地の西側に住むようになり、現在の「南京町」へと発展しました。
明治5年(1872)に小学校もでき、明治7年(1874)には、神戸〜大阪間の鉄道も開通しました。これがきっかけとなり、
街造りも急ピッチに進んで行きます。
外国の人々により、色々のモノが持ち込まれ、神戸が「発祥の地」とされているのものが、たくさん有ります。
明治初期より、たくさんの文化・産業が生れ、発展して行きます。
明治12年(1879)神戸村・兵庫村・坂本村を合併した神戸区に葺合村と荒田村を合併して、明治22年(1889)に
神戸市が誕生しました。東川崎町にあった神戸区役所が初代市役所となり、初代市長は鳴瀧幸恭、人口は13万5千人、
市域は21kuと小さなものでした。
「神戸」の地名のルーツは、平安時代初めの大同元年(806)にさかのぼります。朝廷より生田神社に封戸として44戸が与えられました。
神に仕えて奉仕する人々の家(戸)、すなわち神の戸「かんべ」が「こうべ」となりました。
明治20年(1887)から大正初めまで、生活が安定してきた外国人たちは、見晴らしの良い山の手(北野町一帯)に専用住宅の建設をしました。
そうです「北野異人館」です。当時は、100棟以上建てられていたそうです。昭和52年秋、NHK朝の連続テレビ小説「風見鶏」の舞台になり、
一躍脚光をあび、全国からたくさんの人が観光に来神されます。
(・詳しくは、「観光スポット」より「異人館の街と北野周辺」をクリックして下さい。)
神戸市章は、旧カナ遣いの「カウベ」の「カ」を図案化したもので、明治40年(1907)に制定されました。
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神戸市庁館24階展望ロビーからの眺望です、クリックすると大きな画像で見られます
◇神戸の歩み◇
港を中心として発展が続くなか、明治34年イギリス人貿易商
アーサー・ヒスケス・グルームによって開設した六甲山ゴルフ場に、明治36年(1903)日本初のゴルフ倶楽部「神戸ゴルフ倶楽部」が誕生しました。
しかし、そのころの六甲山は、樹木がほとんどない禿山(はげやま)でした。明治35年から植林が行われ始めたため、現在の緑が守られています。
今の「神戸まつり」にあたる第1回「神戸みなと祭り」が昭和8年(1933)に開催されました。今の様になったのは、秋の「みなとの祭」と
春の「神戸カーニバル」がひとつになり、昭和46年から始まり現在も続いています。
昭和13年(1938)7月に阪神大水害が発生し、昭和20年(1945)の神戸空襲では街の60%以上を焼失しました。
昭和22年(1947)から昭和33年(1958)までに20町村が合併し、ほぼ現在の神戸市域が形づくられました。
昭和25年(1950)に「神戸博覧会」が開催され、その跡地が今の王子公園と湊川公園です。
昭和47年(1972)3月、山陽新幹線が開通して東京から4時間ほどで新神戸駅に着き、大変便利になりました。昭和52年(1977)に地下鉄
山手線の新長田〜名谷間が開通し、海岸線も平成13年(2001)7月に開通して現在は西神から北神地区をむすぶ北神急行(昭和63年開通)で
谷上まで直通で行けるようになりました。
「山・海へ行く」で有名な海上都市事業で、昭和56年(1981)にポートアイランドが完成し「ポートピア'81」博覧会が開催されました。
また平成4年(1992)には、六甲アイランドも完成し、新しい街の誕生です。
しかし、平成7年(1995)1月17日午前5時46分に発生した阪神淡路大震災(M7.3 震度7強)では、大火災で空は真っ暗、ライフラインは全てストップ、
家屋の倒壊などで6500人あまりの尊い命が犠牲となりました。
「下ばかり見ないで、上を見よう!」と この年の12月に、光の彫刻「神戸ルミナリエ」が始まり、暗かった神戸にアカリがともり始めました。
平成10年(1998)春、世界最大級の吊り橋「明石海峡大橋」も開通しました。
そして平成18年(2006)2月、第2ポートアイランド沖に「神戸空港」が開港して神戸の玄関口が一つ増えました。中心街三宮までポートライナーで
20分足らずで到着します。
六甲や摩耶の山、須磨や舞子の浜、東に「灘五郷」のお酒、裏六甲には太閤ゆかりの日本最古の温泉「有馬温泉」が有り、潮風と緑と
自然がいっぱい、そして今と昔がうまく調和したモダンなハイカラ街 これが我街「神戸」です。
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