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神戸居留地物語


慶応3年12月7日(1868年1月1日)、神戸村に港が開港され、
貿易を行うために外国人が移り住むようになり、
それにあわせて、住居や通商の場として開発されたところが「外国人居留地」です。
設計は、イギリス人技師ジョン・ウイリアム・ハート氏があたり
道路が整然と東西南北に走り、街路樹・公園・街灯や下水道などが計画的に整備され
「東洋一の美しい居留地」と評価されていました。

明治3年頃から建物が建ちはじめ、明治5年には約250戸が建てられ
明治7年に大阪―神戸間に鉄道が開通したことがきっかけとなり
明治8年頃、126番までの全区域に渡って立ち並びました。
多くは2階建てで、1階が事務所か店舗、2階が住居として使用されていました。
そして、1899(明治32)年7月17日までの約30年間
外国人による自治が行われました。

 約26haの広さを持ち、範囲は
 東は旧生田川
   (現在のフラワーロード・市役所東側)
 西は鯉川筋
   (現在のメリケンロード・大丸西側)
 北は西国街道
   (現在の大丸北側〜花時計までの道)
 南は海岸線(現在の国道2号線)

現在の「旧居留地」は、
街路は当時のまま残されており、
大正後期から昭和初期にかけ建てられた近代洋風建築が
高層ビルと肩をならべて
オフィースや博物館・有名ブランド店舗として今も活躍しています。
これらの建物は、市の伝統的建物に指定されています。

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□海岸ビル (旧居留地海岸通3番) No.1

 1918(大正7)年築の河合浩蔵氏設計のルネッサンス様式の建物。旧三井物産神戸支店
 カーン式という特殊な工法で構築され、外壁は平板化されたペディメントや幾何学的装飾、 キーストーンの形態などセセッションの影響を強く表現している。
 建物の全体としての構成は、東面、南面の中央最上部はパラペットを―段上げ、 そこに唐破風曲線を用いるなど和風の要素も混入している。
 平成12年、市景観形成重要建築物に指定され、平成14年、1〜4階部分が国の有形文化財に登録されました。


□明海ビル(旧居留地明石町32番)  [A]

 1921年(大正10年)に竣工され、直線で構成されながらも、やわらかさを感じさせる外観デザイン。それとは逆に、 アールヌーボーの影響による曲線の美しさを生かした内装が美しい洋風建築でした。
 阪神大震災により被災し全面的に建て替えられ、1998年1月に再建されました。


□旧居留地38番館 (旧居留地明石町38番) No.2

 1929(昭和4)年、アメリカの宣教師ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により、鉄筋コンクリート造3階建ての 旧ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨーク神戸支店として建てられたものです。
 デザインは、南側の正面にイオニア式の円柱を4本並べ、その両端が目地を目立たせた石積みで引き締めた アメリカン・ルネッサンス様式の建物。
 居留地時代は「居留地行事局」があり、居留地の自治を行っていた居留地会議・警察・消防・留置所が一ヶ所にまとまっていました。
 昭和30年代は川崎重工業(株)本社ビルとして利用され、今は大丸神戸店「リブラブウエスト」として営業中
 平成12年、市景観形成重要建築物に指定されました。


□商船三井ビルディング (旧居留地海岸通5番) No.3

 1922(大正11)年築、渡辺節設計によるアメリカン・ルネサンス様式。
 7階建ての海岸通角、エレガントな姿を印象付ける最上部半円形のペディメント(破風)のバランスの美しさ、 テラコッタをあしらったごつごつとした重量感ののあるルスティカ仕上げの石積みの外壁の重厚さと美しいデザインに圧倒されます。
 現在は、大丸インテリア館「ル・スティル」として営業中
 居留地時代は、ドイツ・ロシア・スイスの領事館がありました。


□ニッセイ同和損害保険(旧居留地19番) No.4

 神戸海上火災保険が前身で長谷部・竹腰建築事務所設計により鉄筋コンクリート造の4階建アメリカンスタイルの建築で、 昭和10(1935)年に建てられました。
 北西角に玄関を配置し3階にとどくアーチ窓はロマネスク調で仕上げられています。


□日本毛織ビル(旧居留地47番) [B]

 1937(昭和12)年に長谷部竹腰建築事務所設計で日本毛織本社ビル(鉄筋コンクリート造4階建)として建てられましたが、 阪神大震災で被災し一部を残して再建されました。
 現在はニッケ神戸本店とファッション関係の店が営業しています。


□旧大興ビル (旧居留地45番) [C]

 1919(大正8)年、設楽建築工務所設計・鴻池組施工の当時としては珍しい鉄筋コンクリートビル (RC造3階地階付)でしたが阪神大震災で全壊しました。  2000年に建てかえられて「THE FORTY FIFTH」(左)として営業しています。  (右は旧内田汽船本社・大興ビルです)


□神港ビルヂング (旧居留地海岸通8番) No.5

 1939(昭和14)年築の木下益次郎による建物。
 石造りの外観と、神戸港を臨む屋上の塔屋が特徴的なアールデコスタイル。
 8階建ての建物のなかには、2つの光庭があり、そのまわりにオフィスが配置された明るく 開放的な設計で、いまも港湾船舶関係などのテナントが入居している。


□十五番館 (旧居留地浪花町15番) No.6

 地番内に残る唯一の居留地時代からの商館で、1881(明治14)年の建設です。
 当初、アメリカ領事館として7年間使用されていた建物ですが、居留地制が敷かれていた時代は、 外国人が地域外に住むことが許されていなかった為、1階が事務空間・2階が居住空間となっていたと考えられています。
 昭和41年、野澤幸三郎氏が買い取り、ノザワ本社社屋として活用
 現在は、フレンチレストラン「ブラッセリー・トゥーストゥース」が営業しています。
 建物は、南側にベランダを持つコロニアルスタイルで、開放的な印象を与え、玄関ホールはパラディアン・モティーフと呼ばれる アーチがかかっています。
 平成元年、国の重要文化財に指定されました。

□煉瓦造下水道 (十五番館東横)

 明治2〜4年、英国人技師ハートの設計により造られた我国初の近代下水施設で、初の煉瓦造構造物のひとつです。
 径約90cmの円形管と径40×54cmの卵形管からなり、いずれも煉瓦半枚厚を使われ、「十五番館」東横側に91mが現在も雨水幹線として供用されています。
 平成16年、旧帝国生命保険神戸出張所と同時に国文化財に登録されました。


□15・16番の境界石標柱

 この標柱は、126区画に分けられた第15番と第16番区画の境界を表しています。
 十五番館より少し西にあり、当時のまま現存している貴重なものです。 (左:全体 右:境界石のアップ)


□チャータードビル (旧居留地海岸通9番) No.7

 1938(昭和13)年築のJ.H.モーガンによる建物(旧チャータード銀行神戸支店)数少ない当時の 建築物です。
 海岸通正面中央に2層になり、正面外壁には3本のイオニア式円列柱が並ぶ印象的なネオクラシズムスタイル。 現在は邸宅レストランとウエディング会場として利用されています。
 回転式ドアを入ると、大理石の彫刻で象られた重厚なエントランスや暖炉、ロビーの折れ天井がかつての英国の銀行らしい豪壮な造りを感じさせられます。
 居留地時代は、英・スペイン・オーストリアの領事館がありました。


□神戸市立博物館 (旧居留地京町24番) No.8

 1935(昭和10)年に建築された旧横浜正金銀行で戦後この銀行が解体された後、東京銀行として利用されてきた。 その後、神戸市の所有となり、1982(昭和57)年、神戸市立博物館としてオープンしました。
 かつて銀行の業務室として使われていた2階吹き抜けの大ホール等は残され、展示室となっています。 設計者は明治29年に日本の建築家としては初めてイギリスに留学した桜井小太郎。
 京町通正面の中央入口の左右にギリシャ・ドリス様式を模した6本の半円柱が並ぶ荘重な外観です。 居留地時代この場所にはキルビー商会がありました。
 平成10年に国の有形文化財に登録され、平成12年、市景観形成重要建築物に指定されました。


□旧居留地108番地(近藤商店)

 「神戸開港間もない明治初年此の場所に建てられた煉瓦造りの建物の窓まわりの部分です。
 窓枠には重量を支えるために御影石を三角に組んで載せ煉瓦は現在のものよりも薄いものが用いられています。
 なお下の社名板は所有社が、昭和8年頃より建物の入口に掲げていたものです。」
 とプレートに記載されています。


□旧居留地百二十四番

 「この標柱124番地は外国人居留地の東の端の東町で、いつごろかイギリス風赤れんがの倉庫が建てられた。
 第一次世界大戦で倉庫は火災の損傷を受けたまま残された。
 大正五年にこの地を兼松商店が本社用地に買い取り、大正八年に四階建て倉庫を完成させた。
 本石柱はその折、東町側の同社通用門にとどめたものである。」(概略)
 とプレートに記載されています。

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