兵庫津の道と周辺


兵庫は平安時代から港町「大輪田の泊」として知られ
平清盛の時代には宋との貿易で栄えました
後に改修を経て鎌倉時代には国内第一の港「兵庫津」と呼ばれて
江戸時代には瀬戸内海有数の港町として賑わいました
「兵庫津の道」は、このような歴史を持つ
兵庫区西部地域の史跡を結ぶ道路の愛称です
のんびりと歴史散策を楽しまれてはいかがですか

 「神戸の狛犬さん」もご覧下さい

     ◇柳原蛭子神社(左)
この神社は古来からあり創建の 年代は不祥です。西国街道の西出入口にあたる「柳原惣門」があったと伝えられています
     ◇福海寺(右)
臨済宗の寺院で足利尊氏が建立し本尊は 釈迦如来で福原西国33か所の第23番札所。開運大黒天も奉られ、蛭子神社の東隣にあります
     ◇福厳寺(上)
臨済宗の寺で元弘三年、隠岐島を脱出した 後醍醐天皇が京都へ帰る途中、この寺に立ち寄り楠正成らがお迎えしました。元は会下山の麓にありました
     ◇湊八幡神社(左)
この神社の前が西国街道「兵庫津」の東出入口で 湊口惣門と呼ばれ、番所や高札場が設けられ、湊の八幡さんと呼ばれていました

     ◇七宮神社(右)
清盛が兵庫の築島工事の無事に終了させる為、会下山にあった社殿を現地に移したらしい

     ◇法蓮寺(中)
水戸光圀ゆかりの寺で、応永元年
(1394)日融上人が 開基し、徳川御三家の寺として隆盛をきわめた。開運北辰妙見大菩薩が祀られている

     ◇金光寺(右)
「兵庫の薬師さん」と呼ばれ承安三年(1173)隆善法師が開基しました

     ◇能福寺(左)
清盛が剃髪し浄海入道となった寺で
日本三大仏のひとつ 「兵庫大仏」(胎蔵界大日如来像[毘慮舎那物]本体11m蓮台3m台座4m)があり、重要文化財の木造十一面観音像もあります
     ◇柳原天神社(左)
菅原道真公ゆかりの神社の一つで、死後分霊をうけて 祀ったのがこの神社の起源だといわれています

   ◇キャナルプロムナード(右)
大輪田橋の北側、新川運河沿いがきれいな散歩道として整備されています

     ◇真光寺(左)
時宗の三檀林[学問所]の一つとされ、開祖一遍上人がこの地の 観音堂で亡くなり、後に弟子がここに寺を建てました。五輪石塔の廟所もあります
  ◇住吉神社と清盛塚(右)
弘安九年(1286)に建てられた8.5mの十三重石塔(清盛の 供養塔)は県の重要文化財に指定され、大正12年現在地住吉神社境内に移転しました
     ◇大輪田橋(右)
大正13年竣工され、南側に日本最大の兵庫運河(明治32年 完成)があり、北側に「大輪田水門」があります

    ◇御崎八幡神社(左)
古くから地域の氏神として親しまれています

薬仙寺(右)
746年(天平18年)に行基が開山した時宗の寺で、寺の名は 後醍醐天皇が
この地の霊水を服薬したことが由来です
反平家の動きを画策した後白河法皇を清盛が幽閉した「萱の御所(牢の御
所)跡碑」があります
和田宮(左)
万治元年(1658)の武庫川氾濫により「岡田宮」のご神体が和田岬に 漂流し、
古来からこの地にあった「えびす社」「弁天社」とあわせて祀ったのが神社の
起こりといわれています
毎年5月の例大祭にはだんじりが出ます
三菱重工業内にあったのを明治34年頃現在地に移転しました
     ◇三石神社(右)
名前は祀られている三つの石からきています。安産祈願に 多くの人が訪れます。三菱重工業内にあったものを明治39年頃現在地に移転しました

     ◇JR和田岬駅(左)
JR兵庫駅から出ている和田岬線の終着駅です

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